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cesta 07

かいしんのいちげき

2024'04.20.Sat
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2008'12.09.Tue


level.46 (きらめき団2008展覧会開催中。会場へはコチラから→


最近…。
素直に自然と思わず笑ってしまったマンガ。

マンガは好きですが、この歳になると中々素直に感情移入は出来ないんですよね。どうしても客観的にサラリと見てしまう。

でも文字通り「あはは」と思わず笑ってしまうツボがいくつもあった貴重なマンガです、コレ。

同じ作者で「荒川アンダーザブリッジ」ってのもあってそっちも面白いですけど、多分無表情で読み終えた。

まぁ、どっちが面白いかは、好みの問題だと思いますがってか、面白いと思うマンガ自体、好みだと思いますけど。


こんばんわ、スナです。
何とか皆様に押し付けるXmasプレゼント(フリマに出す試作品…)を完成させ、とりあえずホッ。
当初考えていた発送時期は思い切りオーバーしてますけど、もうクリスマスまでに着けば良いやと思っていた矢先だったので…。ホントダメ人間だな。あとは趣味のHPの方を年末までにどうにかしたいものだ。

中々…皆さんのところに遊びにいけなくてすんません。



頭の中で閃いたモノを具体的にカタチにするまでの構想時は、思い切りウルサイロックでパンクな曲を延々流してますけど、

その構想を現実のモノとしてカタチにする作業中は、めっさバラードばっかを作業が終了するまで聞いてます。

ちなみに…。
今回の作業中は、tacicaの「熱帯夜」1曲を飽きもせず流しておりますた…。

電気ストーブMaxでもガタガタ震えるようなこの寒い中「熱帯夜」だからね…まぁ、ある意味良い選曲だ。

この曲は、
歌詞はあまりピンと来ないけど(と言いつつ今日のタイトルはその歌詞の一部…)、メロディーが凄い好き。曲も七分以上あるので意外にあまり回数を流した気がしない。

皆さんも気が向いたら聴いてみてくだせぇ。








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2008'12.07.Sun



level.46 (きらめき団2008展覧会開催中。会場へはコチラから→


天気予報通り、今日は雪が降りました。でも予想外にJ●は通常通り、運行しておりました。

そうして。
支障なく、いつもと同じ、慌しく息を切らして駆け抜けるように1日は過ぎたワケで。

でも違ったのは。
この何年も毎朝毎晩乗っている、眼を瞑っていても間違うことも迷うこともないであろう電車を、

間違えてしまったと言うことです。
余程、疲れていたのかと…。

もうすぐ1日も終わろうとしている時間、既にホームで待っていた電車の座席に座ったところまでは、いつも通りだったのですが、

ガクン。と動くべき方向とは逆に電車は動き出したのです。


どんなに。
嬉しいことや辛いこと…。クタクタに疲れていてもベロンベロンに酔っ払っていても…。

1度たりとも、間違えたことがなかった(地下鉄はしょっちゅう間違えるけど)
なので、少なからずショックです。

歳には勝てんな…と言うより、根本的にただ、恐ろしく疲れてるんだなと。



まぁ~。師走ですからね。

でも師走だからこそ、忘れてはならないと言うか、思いだすべきことがあると思うのです。


先生にもお送りした、来年のカレンダーの2009年12月の写真をご覧になられたでしょうか?

同封している写真は、不評だったその12月の写真の、別の角度から撮ったものです。

少々衝撃的なので、暗くして見づらくしておりますが、光った石畳の道の両脇は全て墓地です。


この場所は…。
昨年、旅した街の1つ。今は誰もいない街に今もヒッソリと存在する共同墓地です。

この街に人が住んでいたとき、その街は、ユダヤ人の強制収容所として使われておりました。

ナチスのユダヤ人強制収容所と言えば、ポーランドにあるアウシュヴィッツ強制収容所が有名ですが、その収容所よりも切なくやり切れないと言われる所以は、

子供たちの数え切れないほどの絵が展示されているからです。

音楽隊なんぞもあり、子供たちの合唱団も組まれていたとのこと。でも彼等の歌声の先にあったのは、未来なんかじゃなくて虐殺と言う結末です。

何の為に彼等は歌を唄っていたのでしょうか?


今では上手く思いだせないほど、先生に初めてお会いした時の記憶が今の私にはないけれど、多分、何もかもがどうでも良くなってて、ただ、先生がくれたガレットのバターが、しつこいくらい濃かったと言うことと、そして、

何も話さず、ただ一緒にガレットを食べただけだったのに、先生は「一緒に食べてくれてありがとう」と言ってくれたこと。

私は、誰かに、

ありがとう

って言って欲しかったんです。



「ありがとう」って、凄いですよね。自分で自分に言っても良いけど、でも何か…イマイチ。だけど、

人から言われると物凄い威力を発揮する、まるで呪文のような言葉です。



子供の頃は、
あんなに途方もなく永遠に感じていた「1年」が、今ではあの頃で言えば「1日」くらいに感じます。

そんなあっと言う間の「1年」ですが、その終わりくらいは、感謝の心でいたいと思うんです。


こんなあっと言う間の「今年」でも、私はこうして無事に過ごすことが出来、そして「来年」と言う未来を当たり前に迎えようとしている。


必死に歌っても唄っても、飽きたらただ使い捨てのように殺されるだけだった子供たちがいたと言う過去の先にちゃんとある私の未来。


見ず知らずの、人種も違う知らない人たちが行った過去なんて、まるで宇宙の出来事のように感じるかも知れない。

だから私は、私が言いたいのは。

ただ、明日をも知れず、誰からも感謝もされず、必死にただ今日を生き延びることだけしか考えられなかった人ではなく、

自ら自由に選ぶことのできる未来を迎えることが出来る人間であることに感謝をし、そして、

そんな、当たり前のことが出来ず反対に死ぬのが当たり前だった人もいたと言う現実を再確認し、そして、間違うことなく、胸を張って自分にとって正しい未来への扉を開くことが今の自分にできることなんじゃないかと言うことです。


「今年のうちに!」
と何だかバタバタととにかく物事を無理矢理終えるという、ただ単に文字通り「慌しい師走」って言うんじゃなくて、

今年1年、ありがとう。

慌しい中でも、そういう気持ちでいられる人でありたい。


1度も乗り間違えたことが無かった電車を間違えてしまうほど疲労困憊ではありますが、私は、ようやく最近、

先生に会えて良かったと思えるようになりました。

いつも話を聞いてくれてありがとう。


お体には十分お気をつけて。また手紙を書きます。

2008/12/1


※昔。お世話になった医者に宛てた手紙の一部です。他に書くことが思い浮かばないほど、記憶が飛ぶ慌しい日々を過ごしてます。でもこのお世話になった医者に対してだけでなく、私はこの日記ってか手紙は、読んでくれた皆さんにも伝えたい言葉でもあります。

華やかで駆け抜けるような年越しよりも、

「今年」を「過去」にし、そして「来年」を「今」にすることが出来ることに感謝をする。

そして。
その当たり前のことが出来ない人々もこの世界にはいるんじゃないかということを想像して欲しいと思うのです。


「暑中見舞い&お中元」と勝手に称して押し付けた私の手製のカレンダーをお受け取りになられた方はお分かりかと思いますが、来年2009年の最後の最期の写真は、何だかおどろおどろしい写真です。今日の写真の別の角度から撮ったものですな。

最後にコレ?!と不評でありましたが、でもねそれにはこーゆー思いが隠されているってことを伝えたかった。

来年言えよ!って感じですけども。




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