2010'06.19.Sat
level.49
最近の私の心境がそっくりそのまま映し出されているなと…どれもこれも中途半端。
何の写真なんだよ!?と突っ込まれても「サーセン!」と土下座するしか出来ません。
とりあえず。パフェ風ガトーショコラは絶品だった(ならそれメインで撮れよ…ってかパフェ風ってのも半端だなと…)
こんばんわ、スナです。
体調がイマイチ乗れなかったのもあってか、最近は仕事もプライベートも何もかもモチベーションが全く上がらず、中途半端でくすぶっておりましたが、今日、久々クンクンに会って話を聞いて…久々モチベーションが上がりました。
ありがとう、クンクン!
そうだよな、時間は無限ではないんだよな。もしかしたら明日、植木鉢が落っこちてきて死んじゃうかも知れないんだよな~。
自分にとっての新たな「何か」を模索しているクンクンの姿を見て、私もうかうかしてらんないと改めて思いました。
でもまぁ。
私の場合、とにかく我武者羅に突っ走れば良いって歳でも決してないのですけども。
何事もまぁ、バランスですね。
ほどほどのガス抜きも必要不可欠。ってか、私の場合、それがメインと言っても過言ではなかったりもする…。
コレだ!と思い込むと、全力で突っ走るタイプで、それはそれで良かったし、それが私だとも思っていたのですが、
人は日々変化するイキモノで、そしてそれは良い方にも悪い方にも変化するワケで。
一試合、全力で駆け抜けるタイプで、気持ちは常にそうしたいと思っていても、それが出来なくなってしまうということ。
「老い」には勝てないってことですな。
と言っても。まぁそこまで「老い」を実感する年齢でもないんですけど、でもそう言ったことを意識しないとならない歳にはなって来たんじゃないかなぁと…。
でもそれが決して悪いことでも悲しいことでもなくて、そう言ったことも考えられるようになってきたことが逆に嬉しかったりもする。
もっと自分を考えられる。自分と向き合おうと出来る。
2007年の旅をした時。
今のクンクンのように私も必死で「自分の可能性」のようなものを模索していて…寝る間も惜しんで毎日を全力で駆け抜けていた。
実際。
睡眠時間なんて今の半分以下だったし、食事もロクにしていなかったし、体のことなんて1つも考えず、ただ心の感じるままに突っ走っていた。
今思えば。
本当にあの頃の私は人生で最も精力的に生きていたと思う。
今また、あの時と同じ生活をしろと言われても…死ぬな。
そりゃ。
あの頃の自分のようにずっと生きて行きたいとも切実に思っているし、そして今、自分がすべきことややりたいことはあの頃よりも何十倍もきちんと分かっている。
だからきっと。
あの頃よりももっともっと要領よく能率的に出来る自信もあるのだけれど、でもそれをしないのは、
しないってのではなくて、出来ないからだ。
気持ちは焦るけれど、でも今の私の優先順位はあの頃とは違う。
一人ひとりが違うように、過去の自分と現在の自分、そして未来の自分は違う。
それを今日私は知りました。
何だかうまくいかないなあ~と悶々としていたのだけれど、それが何故かってのが、若いクンクンのイキオイある前向きな話を聞いて気付いたのです。
最近。
私なりのYOGAを一生懸命しても、やってもやっても何だかスッキリしないどころか体が痛んでしまっていたのは、
現在の私に合っていないやり方をしていたんだなと。
自分のニガテなこと…今の「限界」を理解し、そしてそれを全部ちゃんと受け入れる。
その勇気も必要なんだと。
壊れた部分を受け止め、そしてそれを愛おしいと思う。
まぁ、壊れているってワケでもないのだけれど、でも実際何十年も使ってきたこの体が、永久的に同じであるワケでない。
利き手の腱鞘炎をキッカケに、昨年の自分をよくよく考えてみれば、アバラにヒビが入ってしまったのを初め、顎が痛くて口が開かなくあったりもしたし…それなりに体はちゃんと訴えかけていたのに、それを痛み止めで必死に押さえ込もうとばかりしていた。
どうしてこんなことになっているのか何て考えもしなかった。単にツイてないなあとしか思わなかった。
ただ完璧な完成形のポーズばかりを意識してイメージして…そうやって1年、YOGAをやってきましたが、まぁ、それでそれなりにカタチにはなっては来ているし、止まりがちな呼吸もかなり出来るようになってはいるのだけれど、
私は決してYOGAの先生になりたいからやっているのではなくて、自分の体と向き合いたくてやっているのであって、
これからの一年はもっと自分の体の奥深くの声に意識をするべきなんじゃないのかと。
心も同じ。
周りが何も見えなくなり聞こえなくなるほど、集中するときはしてしまうのだけれど、
ふぅ~と肩の力を抜いて全然関係ない寄り道をしてみるのも必要なんじゃないかと。
自分だけで何もかもやろうと気負わなくても良いんじゃないかと…。
全てを完璧にやりとげようとしなくても許されるんじゃないかと…。
ヘンなところで潔癖症で完璧主義の私ですが、そんな自分が嫌いじゃないし、それが私の基本になっているのだとも思うのだけれど、
たまには鼻歌でも歌ってみるのもアリなんじゃないかなと。
久々上がったモチベーションが、まさかこんな方向に上がるとは思ってもいなかったのですが、こんな不真面目な自分もあるんだなと…あっははー
しなやかな人間になりたいとずっと思っていたけれど、もしかしたらこれもその自分の思うしなやかな人間の1つのカタチなのかも知れない。
ダメな部分も受け入れると言うこと。ダメな部分を愛おしいと感じること。
今宵も。
真上の部屋の住人カメラマンのリサイタル真っ最中でございますが、いつもなら窓を閉めていたけれど、今日はそのヘタクソなギターに合わせて鼻歌でも歌ってしまいます。
明日も1日頑張らないように頑張るぜよ。
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