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cesta 07

かいしんのいちげき

2024'05.20.Mon
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2008'03.09.Sun


level.42

結構、手紙と言うものが好きです。口と頭がうまく繋がってないので、幼い頃から声で表現するよりも、図や文字で心を表現してきました。

ま、それでも文章はちっとも上達しませんけどね。

こんばんわ、スナです。


武士の刀のように、寝るときも手放せないような存在であるケータイも、本来の機能である「電話」で使うより、メールが主です。

でもそれでも、「今、何してる?」とか「今、どこ?」とか、そんなチャットのようなメールはニガテ。

単にツラツラ自分の思い、そしてそれを読んだ相手がその時、どういった心境なのか、どういった状況なのかと言うのを想像しながらの、日記のような、つぶやきのようなのが好きです。

だから一番好きなのは、今も昔も手紙。

本当に大切なことは実際に会って、きちんと向き合って伝えるべきだとは思う。

でも何気に相手を思うとき、その気持ちを伝えるのには手紙が一番なのではないかなあと。


今も、昔も。


引越しばかりしていた私は、引越し先から遠く離れた友人へ手紙を良く書いてました。

新しい学校はどうの、方言がどうの…。
今思えば、結構何割り増しかの強気な内容ばかりだったと思う。だわわ~。

ヘンな方言じゃー!と馬鹿にされて中々馴染めなくても、「友達沢山出来たよ」とか、

方向音痴で、絶対初日は迷子になるくせに、「あっと言う間に近所を覚えた」とか…

電話で声を聞きながら、または聞かれながらだときっと…
挫けてしまうから。


転校と言うものは、結構堪えます。特にドン臭くて、トロい人間には。

ようやく慣れたかと思えば、全く違う場所へ。同じ日本でも、決して自分では戻ることが出来ない遥か遠く離れた場所へ行くのは不安です。

そういうことも重なって…
私にとって手紙と言うものは、一層大切なアイテムのひとつとなってました。


でも…
やはり毎日が目まぐるしい成長期のガキには、去って行った友人なんて、あっという間に過去の人になってしまい、何ヶ月もしないうちに手紙が途絶えることも当たり前。


そんな中。
とてもとても長い間、私のつまらない手紙の相手をしてくれた友人がいます。


その友人とは、今では手紙なんて滅多にやり取りをしないけど、久々交わした年賀状に書かれていた言葉を見て、私は久々、ペンを取りました。


「お誕生日、おめでとう。そして新しい命におめでとう」


赤ちゃんができましたとの報告が書かれていたのです。




それが1月の終わり。彼女の誕生日ギリギリのことでした。それからちっとも音沙汰無く…。勿論、お互いのケータイの番号もメアドも知ってます。

それでも敢えて私からも何も連絡をしなかった。


そして昨日。彼女から手紙を頂きました。

内容も勿論嬉しい言葉ばかりだったけど、何よりも…
見慣れた懐かしい彼女の字が嬉しくて嬉しくて。


小学生の頃から見慣れた彼女の字。大人になるにつれてちょっとずつ変化はしていったけど、それでも紛れも無い彼女の字。


決して達筆と言うわけではありませんが(オマエが言うな)、でも読みやすく、可愛らしく、そして丁寧に綴られた文字達が、思わず私を笑顔にさせてくれていました。



クタクタに疲れ果てて帰ってきたときに、ぴら~んと一通の手紙が冷たく無機質なポストにヒッソリと。

ドキドキしながら鋏で開ければ、短いけど温かく、懐かしい言葉たち。


いつもいつも私を励まし続けてくれた彼女の字が、大人になった今も私を励ましてくれてます。



友達が出来なくて、彼女と過ごしたあの場所に戻りたいとばかり考えて、1人、学校帰りの野原で、ランドセルを机にして書いたあの頃。

泣きながら書いたときもあるけれど、内容はいつも強気だった。

それでも彼女はいつもそんな私を見通していて、決まって最後は「また会おうね」



彼女の誕生日に間に合うようにと急いで買った手紙は、本当は自分の撮った写真達で飾りたかったけど、でも間に合わなくて、市販のお祝いBOOK形式のもの。

『離れていても、不安な時はいつでも私の名を呼んで』

そんな内容だった。


安いピラピラのファンシー便箋ではないけれど、でも昔も今も大して変わらない自分に苦笑する。



仕事をする上では、メールは欠かせない、大変画期的なものであります。

でもプライベートではたまには手紙でも書いてみませんか?


「時差」が生じるこの連絡方法が、時にはとても役に立つことだってあるのだから。


大分の湯布院のある場所に、「一年後ポスト」と言うものがあります。

興味本位で、ちょっとふざけて、一緒に行った友人同士で出し合いっこをしましたが、本当に一年後に届きました。

ふざけながら書いたあの頃と、一年後受け取ったときの自分は、大して変わっていないだろうと思ったけど、その時全く状況が変わっていて、ちょっと疲れていたので、凄く嬉しかったのを覚えています。


まるでタイムカプセルですな。卒業記念みたいな。

一年前、想像もしてなかった道を歩いていたり、思いもしなかった困難にぶちあっていたりするかもしれない。

そんな時、過去の、一年前の自分や、その時一緒に時間を過ごしていた大切な人からのメッセージは、結構身に染みます。


そこまで大げさに考えなくとも、
「手紙」と言うものは、メールと違って、手に触れることも出来、そして何より、その人その人の字で綴られると言う事が、何よりも大きな違いのような気がします。



今度は私の番。
花の切手を沢山貼って、彼女に返事を出そうと思ってます。

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私も手紙派
ご無沙汰!!私は何とか生きてるよん。

私も断然手紙派。だからスナちゃんのブログ読んで、「うんうん」と頷いてしまったよ。

ブログもメールも苦手。
メールに絵文字や顔文字入れるのも苦手なもんで(どの絵文字や顔文字を使ったら適当なのかがわからない・・・)

学生の頃は全国&世界いろんなところの人と文通もしてたっけ。今も会ったことのない友だちと文通してるしね。

最近はめっきりお手紙を書く相手が減ってしまってちょっとさみしいけど、だれからか手紙が届いたら、相手のことをいろいろと考えながら返事を書くのが大好きだよ。

今日はまたスナちゃんを身近に感じることが出来てうれしいな。

では。

つーちゃん: 2008.03/09(Sun) 03:09 Edit
つーちゃん!
お久しぶりです、つーちゃん!!オゲンキデスカ!?

スナは元気です。なんかもう、頭も体もクタクタではあるんですけど、心がいつもテンション高くて…元気です。ヤバイ状態だっていうんだよ、これは。

「手紙」について今回はグダグダ書いてしまいましたが、共感してくださる方がいて、本当に嬉しー!!ありがとねー!

メールが当たり前の今こそ、手紙と言うものの存在価値を考え直しても良いんじゃないかと思うわけです、スナさんわっ!

手紙は実物がある分、管理するのが面倒だし、かと言ってヒョイヒョイ簡単に捨てられるものではないので扱いが大変。
それに返事を書くのも切手を貼って、そして投函するのが面倒…

そんなマイナス的なことばかりが現状だと思うんです。

でも。
その「手に触れられる」と言う事が、ポイントだと思うわけですよ、スナさんわっ!

単に便箋だけを送らずとも、写真や、拾った綺麗な落ち葉や、素敵な匂いつきの栞を同封したり…なんてオマケも楽しいし、何よりやはり、

相手の文字ってのが凄く嬉しい。

どんなにヘタクソでも、一生懸命相手を思いながら綴った文字は、メールの無機質な文字より何千倍も効力があります。

もっと身近に、そうやって「手紙」を感じられ、楽しめる環境があれば良いなあと思っているのですけどどうでしょう?

メールの顔文字、私もニガテですよ~。一時は凄くハマったけど、今では何だか目がチカチカするだけなのでよほどの事が無い限り使いません。

なので良く友達から「コレ、パソコンから打ったメールかと思った…」とかも言われますけど、内容が伝われば良いんです。

だってメールなんだもん。スナの中ではメールはあくまで「事務的なもの」であります隊長!

つーちゃんもお体には十分お気をつけて。今年は是非とも会えたら良いね!!
2008/03/10(Mon)
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