こんなブログなんぞを書いておきながら何ですが、
アナログ派です。
携帯やPCがないと、もう生きていけないけど、
アナログ派です。
何故かと言えば…。
余計な機能がついていないから。
コレはコレだけしかない!ソレはソレだけしか出来ない!
そーゆーのは、分かりやすくて潔くて…とても良いと思う。
それに…。単純明快な分、
自分で試行錯誤して、自分なりの…オリジナルの使い方が出来るのが良い。
例えば…。
「鉛筆削り」
鉛筆自体この現代に存在するのか…てな感じだけど…。
まぁ、とにかく、鉛筆削り機。
姉のは電動の…、突っ込めば物凄いイキオイで、あっという間に鋭く削ってくれると言う…その当時にしては最新の機種(?)だった。
そして私のは…。
取っ手が付いてて、グリグリガリガリそのハンドルを回さないと削れない手動式。まぁ…色鉛筆などにオマケ的に付いている小さな削り機ではなかったものの、結構手間がかかるヤツだった。
小学入学間際の、或る春の日。
真新しい学習机の上に、その鉛筆削り機は、ちょこんと置かれていた。母が勝手に買って来ていたのだ。
凄く嬉しかったけど…
小学校に通い出し、毎日毎日…何本もの鉛筆をガリガリ削るのは、クラスの中でもチビッコの類に入っていた私の小さな手には、結構な重労働だった。
フンフン!と格闘している隣では…
「ガガーッ!」と姉の電動鉛筆削りが調子よく、次々に鉛筆を削っている。
母を恨んだ。
或る日。
姉が不在の時に、こっそりその電動鉛筆削りに、恐る恐る鉛筆を入れてみた。
「ガガー!!!」
物凄いイキオイで吸い込まれて、本当に驚いた。
しかも
加減を掴めていなかった私のその鉛筆は…桐のように尖って、ちょっと怖かったし、使い物にならなかった(チビッコのくせに筆圧だけは強かった私は、一瞬で芯を折った…)
何だよ、これ!?
生まれて初めてストレスと言うものを感じたのは、この鉛筆削り機だったかも知れない。
こんなのに振り回されるくらいなら…と、それ以後、1度も姉のは使わなかった。グリグリガリガリと、鉛筆削りの頭を押さえながら1本1本、削った。
金属の金具で木の鉛筆を挟んで固定するもんだから、鉛筆の頭には削るたびに新たな挟んだ後が付く。
短くなればなる程…
まるで「噛んでんの!?」てな具合だ。
でもそれがまた、愛着が湧いた。
短く、ボロくなる度に、沢山書いたんだなあ~なんてしみじみ思う。
姉の、危なっかしい乱暴者の電動鉛筆削りでは、削れない短さも難なく削った。
図工用の、太くて柔らかい鉛筆も、難なく削れた。
自分の調節次第で、それなりに調整が効いた分、鉛筆の持ちも姉より良かった。
そしてそれには…。
「裏技」的なものも密かにあったのは言うまでもない…。
そうして。
「シャープペンシル」と言うものが、携帯電話の普及並みの速さで広まり、私も使うようになるまで、その鉛筆削りは、鉛筆を削り続けた。
ちなみに。
姉の電動君は、シャープペン時代が到来する前に殉職してしまったが、私の鉛筆削りは…未だに健在だったりする(色鉛筆やら、スケッチ用の太い鉛筆を削るのに、ホンの時折だが使っている)
恐るべし…っ!
とまぁ…。
長ったらしいくせには、説得力がってか、的を得ていない例え話をしてしまったのだけど、
アナログ派です。
一体何が起こっているのか…!?
こんなアナログ派を主張する人間には、絶対に分からないイキオイで、デジタル化が進んでいるこの現代。
「音楽も聴けます!」「TVも見れます、ワンセグです!」「小説やマンガやDVDも見れます、もう重たい本を持ち歩かずに済みます」
…それって…。携帯電話なの…?
って言うか…ワンセグって何ですか?
ビジネス的な面で考えれば…。
クリックした次の瞬間には、相手先に届く「メール」やら、
莫大な資料を簡単に整理でき、的確なデーターを弾き出し、新たな分かりやすい資料をあっという間に作り出せる、「パソコン」。
世界中のどこに居ても、殆ど繋がる「携帯電話」。
それらは、本当に物凄い革命だと思う。
でも。やっぱり私は…。
その人が丁寧に一生懸命、一筆一筆綴った「手紙」が好きだし、
積み重ねられた、膨大な紙の資料を、1枚1枚、自分の手でまとめ、集計したり…何度も何度も捲ったり書き直したりするからクチャクチャになった、ある意味「味」のある…作成者の努力が、苦労が垣間見られる資料が好きだし、
何だか常に「監視」されているような携帯電話よりも、ドキドキしながら1つ1つ回した、「ダイヤル式電話」が好きだ。あの頃は…まるで呪文のように、いくつもの大切な人の電話番号を全て覚えていたのに…今では実家の電話番号も危うい。
能率、効率、スピード…。
それらを最優先にした「デジタル」は…どうもニガテだ。
そんな私が自然と惹きつけられ、そして選んだ場所。
世界トップレベルの、マシーンばかり次々生み出している、この私の生まれ育った国からは、何千キロも遠く離れた国。
その国のこれからのことは分からないけど、今、その国では…
その昔、万物に神が宿ると言う考え方をし、かたちあるもの全てに敬意を払って生きてきた私の祖国が、失いつつあるモノを、ちゃんと当たり前に今もずっと持ち続けている。
だからと言って、決して特別なモノは何1つない。
ただ、どんな時も一緒に過ごしてきたそれら1つ1つに、執着し、そして愛着を持って接しているだけだ。
遥か昔から…。私の遺伝子の中にも組み込まれているモノを確かめたくて、私はその国へ行く。
その前に…。
今は実家の私の部屋のクローゼットに、ヒッソリと眠る「鉛筆削り」を、ダンボールの中から取り出して、そして鉛筆を削ってみようと思う。
その鉛筆を使って、目指す街から大切な人へ手紙でも書いてみようと思う。
ずっとずっと…
私を見守ってきてくれた、古ぼけた鉛筆削り機もきっと…。
小さな小さな「神」が宿っていて、そしてきっと…。
私をこれからも見守ってくれることだろう。
level.1
以前、会社で購読している経済新聞を片付けていると、本当に偶然にある花屋の記事が目に飛び込んできた。
本当に偶然だった。
だって私はその経済新聞を読む暇なんて1つもなくて、滅多にその新聞が置かれているスペースに行かないのに、その時、あまりにも散らかっているのが偶然、目について、仕方ないなあとバタバタ無造作に積み上げていただけなのだ。
その花屋は、普通の花屋ではなかった。
1つも花がない花屋。
どういうことかと言えば…、
今、オーナー自らが畑で育てている花達を使って、ブーケやらアレンジを作るというのだ。
今、育てているから花がない。
オーダーしてから早くて半年後…大抵1年はかかると言う花屋。
そのシステムに心底ショックを受けた。
なんてことだ。
それ以来、その花屋さんが時折アップしているブログをいつも拝見させて頂いている。
本当に時折しかアップされないけど、その内容はとても興味深い。
『今日は畑に1日いた。クソ暑くてやってられないが、スクスク成長するヒマワリを見るのは嬉しい』
『畑の近所のオジサンと、最近ミツバチを飼った。楽しみだ』
そんなまるで…農家!?みたいなことばかりが書かれている。
凄く素敵な生き方だなあと思う。
ここ最近。
スローフード、スローライフやらの言葉を聞く。
毎日が戦闘の私には、全く縁のない言葉ではあるが、本当はこれこそまさに、私の理想の生き方だ。
「時間をかける」と言うことが好きな私にとって。
この花屋のことを知ったときに感じたショックを、昔も受けたことがある。
それは、
スペインに未だ建設中のガウディの「サグラダファミリア」のことを知ったときだ。
設計者はもうずっと前にこの世界にいないと言うのに、その建物は今もまだ造られていて、そして完成するのはまだまだ遠い未来のことと言う、「Fast」が当たり前の私にはあまりにも衝撃的なことだった。
早ければ良いってモノではないのだと言うことを知った瞬間だった。
いつも
仕事では「納期」に追われ…。プライベートでも「家事」や「雑務」に追われ…。
そうして毎日ヘトヘトになりながらも、私は何を手に入れたのか?!
何もない。
「時間」を楽しむと言うこと。「時間」と上手に付き合うと言うこと。
オーダーしたならば、一分一秒も早く、そのブーケを見たいって言うのがフツーだろう。でも、
1本のバラにしても、いついつに芽が出、いついつに蕾をつけた。
そうやって写真を見せて報告をしてくれる。まるで…遠く離れた場所に住んでいる我が子の成長記録を見るような…。
そして1年後。
その我が子の立派な姿にようやく会える。
今は亡き設計者の本当の意図を、思いを本気で考える。設計図や設計画、写真などがあっても、それでもスグには石を彫らない。
限りなく設計者の魂に近づく。そうしてようやく、最初の鑿を打ち込むのだ。
造りながらもドンドンその建物は風化していく。製造と修復が同時に行われている建物…。
私も…。そんな仕事を、生き方をする人生でありたいと思う。
しかし。
あまりにも「Fast」としての生き方にドップリ浸かりすぎた私には、どうすれば良いのか…分からない。
自分に出来ることは何なのか…分からないのだ。
「Fast」が悪いわけではない。上記に述べたような、ある意味非生産的なことばかりの世の中だと世界は崩壊する。成り立たない。
だからこそ、この旅で自分なりの「Blance」を見つけたいと思っている。
「Slow」と「Fast」のバランスを。
締め切りに追われ…昼なのか夜なのか、暑いのか寒いのかも分からない生活。
そう言うと、何だかとても哀れな人のようだけど、そうして必死に頑張っている自分も決して嫌いではない。
むしろ好きだ。
無我夢中になって戦っているその時の私は、まさに「生きている」と実感しているから。
鼻歌を歌いながらコトコト何時間も鍋をかき混ぜる。簡易のイスを引っ張り出してきて、コンロの前にドッカリと居座る。
ただ鍋を焦げ付かせないようにスープを作る。
各駅停車の電車に乗って目的地に向かう。
特急列車は勿論、新幹線や飛行機など、早く着ける手段はいくらでもあるのに、敢えて各駅電車に揺られる。
何時間もかけて目的地に辿りつく。
立ち止まり、空を仰ぐ。
行きかう人々は忙しなく、かぞえきれない程の人々が、突っ立て居る私の傍を通り過ぎてゆく。ふと周りを見れば、その目まぐるしい人々に思わず眩暈を覚えるけど、頭の上に広がっている空を見上げれば、雲がゆっくりと、本当にゆっくりと流れて行くのを見ることが出来る。
そんな時々も私は今、「生きている」と実感する。
どちらも間違っていない。正しいのだ。
どちらの「時間」も知っているからこそ、私は「生きている」と実感できるのだ。
「Fast」&「Slow」
これが、
これからの私の旅の、人生のためのキーワードだ。