2007'08.29.Wed
level.1
眠くて仕方がない。
でも今寝てしまったら…絶対後悔するので、やるべきことにいつもより貪欲になって、すっごい頑張っている状態。
これこそ、「自分との戦い」状態…。
眠らなくても平気な体が欲しい…っ。
本日。
私が留守中、私の相棒の世話をしてくれる親友が、相棒との顔合わせの為に我が家にやってきてくれた。本当に至れり尽くせりで、感謝この上ない。
私はあまり部屋に人を呼ばない。慣れたらなんちゃことないのだけど、自分のテリトリーに人が居るっていう状態に混乱してしまうのだ。
何をどうすればいいのか分からなくなってしまう。何もしなくていいんだけど…。
1人と1匹だけでも既にギュウギュウ状態。その中に3人(そのうち2人は子供だが)が雪崩れ込んだらもう…ホントごめんなさい。
狭苦しいのに、ゴチャゴチャと思い切り趣味で溢れ返っている我が城に、過去何度も来たことがあるその友人ですら、もの珍しそうに見ていた。
クレパスでゴチャゴチャ描かれた花の絵が貼られているキッチン。
デカイ白紙の世界地図が貼られた壁。その脇の壁は、これまたゴチャゴチャ絵やら写真やらが、ゴチャゴチャ貼られ巻まくっている。
棚の上、小さなデスクの周りには、積み重ねられた、ワケの分からないマイナーな、本やら雑誌やらマンガやら、CDやらがゴチャゴチャ、ゴチャゴチャ。
狭いのに、ゴチャゴチャゴチャゴチャ…。
こんな。
気味の悪い部屋ですけど、すんません、ヨロシクオネガイシマス。
基本的に。
ゴチャゴチャしてるのが好きだ。
そして。
そのゴチャゴチャは、統一されたシンプルなものでもなく、温かみのあるナチャラルやカントリー風でもなく、それでいて、和風でも、アジアンでも、サイケデリックでも、レトロでも、メルヘンでも、ミッドセンチュリーでも、アンティークでも…その他もろもろ、何でもない。
ただのゴチャゴチャなのだ。
その、全く統一感のないゴチャゴチャが1つになって、私の部屋は出来上がっている。
だからこそ。
その「異空間」に人が入り込んでくるのがとても恥ずかしいし、何だか申し訳ない気がしてくる。
一体、何をアピールしたのか全く分からないこの「ゴチャゴチャ部屋」は、本人以外にはただの薄気味悪い部屋でしかない。
でも…本当は。
その部屋にある全てのもの1つ1つ、物凄く意味のあるものなのだ。
今は…。
単なる薄気味悪い、思わず突っ込んみたくなるものだらけの空間だけど…。
いづれ近いうちに、誰もがこの「ゴチャゴチャ異空間」が、何だか気持ち悪いけどヘンに落ち着く。ってな、そんな空間を私は作りたいと思っている。
日々の日常やら現実を忘れるような…。
でも、それでいて、ちゃんと実用的で機能的で、現実をしっかり見つめなおし、頑張ろうと思えるような…。
旅の途中で、ちょっと一息つきたいなって思ってフラリ、何気なくスンナリと入って来れるような…。
そして、
自分と同じようにフラリ、疲れを癒しにやって来た旅人たちと、極々自然に、気づけば肩を寄せ合って話をし、情報交換しちゃっているような…。
そんな「異空間」を作りたいと思っている。
※どーでも良いけど、メガネが仕上がった。これでまた1つ、必要な防具が揃ってホッとする。あとは…変圧器&プラグだ!!!
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2007'08.28.Tue
level.1
将棋は好きだけど、弱い。突然だけど。
父が、将棋や囲碁が好きで、子供の頃から良く相手をさせられていた。今でも、実家に帰った時は相手をさせられる。
父は…物凄い策士だ。こんな私相手に、先の先のその先まで読んで1手を打つ。いつも彼の相手をさせられてるから大体のパターンは見えているのけど…いつも負ける。
別に負けて良いのだけど。そう、勝ちたいと思ったことがないのだ、私は。
いつも。
無鉄砲だった。
計画を立てるのは好きだけど、でもそれ以上に「こうしたらどうなるだろう!?」そういう突如ピンと閃いたことに流されてしまう。
好奇心やイキオイの誘惑に弱い。勝つことよりも楽しむことを選んでしまう。
私の好きな駒は「飛車」だ。真っ直ぐにドワーと進めるこの駒は、まさに無鉄砲な私、そのものだ。
「いっつもいっつもオマエは…高飛車だな」
父はいつも呆れてそう言う。
それで良かった。満足していた。そう言われるのが狙いでもあった。
そんな…。野生的な「勘」みたいなのが必要な時もある。でも…。
勝たない戦をしてはいけない時もあることを知った。
自分の今の「能力」を知ること、そしてそれに見合った行動を取ることも必要なのだと言う、客観的冷静な判断能力がとても大切なのだと言うことを知った。
諦めない根性は当然必須なのだけど…。でも現実はそうもいかないこともある。時間とか、体力的なこととか…。
「タイムオーバー」それがこの世には存在するのだ。
野球のように、時間制限がない勝負もあるけれど、今、私がしようとしていることには「タイムオーバー」がある。
人生そのものだってそうだ。人間誰しもいつかは死ぬ。
その最期を迎えるとき、「タイムオーバー」の時…満足してそれを受けれることが今の私には絶対に出来ない。
まだまだやりたいことが沢山あるから。
「人の最期」を、何度かこれまで見取ったことがある。一体彼らはどんな気持ちだったのだろう…。
こんなことを思うようになったのは…初めて祖父を高校生の時に亡くした時だったけど、何だかあまりピンと来なかった。
そして。
普段の慌しい生活の中で、「最期」と言うものを考えたり感じたりすることは無くなっていった。若い私には、無限に広がる「未来」しか見えてなかったから。
いつかは、こうなれる。
いつかは、出来る。
その「いつか」ばかりをただ何となく期待しているだけだった。特に何も努力をせずに。
この前読み終えたばかりの「竜馬がゆく」の主人公、竜馬も…。
その前に読み終えていた「燃えよ剣」の土方も…。
もう十分、満足する「最期」だった。
ただの小説に、私はまた、「最期」を考えるようになっていた。
竜馬の最期は…暗殺というあまりにも突然で、正直納得がいかなかったけど、
土方の最期は…誰にも変えることができない、大きな時代の流れに飲み込まれてしまったどうしようもないものだったけど、
彼らは、ずっと、彼ら自身の「最期」をちゃんと知っていて、見通していて、そして満足してその短い人生の最期を受け止めていた。
絶えず変化していくこの時代の中で、私はどう生きるべきなのか!?
別に政治がどうの、国がどうのとか、そんなことは分からない。ぶっちゃけ、興味もあまりない。
ただ。
「負けて終わるのはイヤだ」そう思う。
初めて「勝ちたい」と思った。
そう思った瞬間。
恐ろしい程の不安に襲われた。
特に何もしてこなかった「高飛車」の私には、何も勝てる要素がない。
何もない。
でも良くよく考えてみれば…
このどうしても勝ちたい「cesta」の扉を開くキッカケになったのは…
もうすぐ終わりを迎えようとしている今の仕事に、全力で向かっていけたからだ。
本当に辛かった。
何が本当で、何が嘘なのか…分からなかった。自分自身すら、信じることが出来なかった。
でも。
それでも温かい周りの人々のお陰で、どうにか走り続けてきた。途中放棄をせずに、ちゃんとエンディングを迎えようとしている。
そのエンディングが本当に正しいものなのかどうかすら分からないけど、でもきっと…これで良いのだ。きっと竜馬や土方もこんな気持ちだったんじゃないかなあと思う。
何もカタチがないけれど、それでもその実績だけで私は、次のオープニングを迎えている。
今度はもっと…
自信を持って、勝ちたいと思う。
「飛車」なんて華やかな駒は使わない。1歩1歩…歩いていく。
将棋は好きだけど、弱い。突然だけど。
父が、将棋や囲碁が好きで、子供の頃から良く相手をさせられていた。今でも、実家に帰った時は相手をさせられる。
父は…物凄い策士だ。こんな私相手に、先の先のその先まで読んで1手を打つ。いつも彼の相手をさせられてるから大体のパターンは見えているのけど…いつも負ける。
別に負けて良いのだけど。そう、勝ちたいと思ったことがないのだ、私は。
いつも。
無鉄砲だった。
計画を立てるのは好きだけど、でもそれ以上に「こうしたらどうなるだろう!?」そういう突如ピンと閃いたことに流されてしまう。
好奇心やイキオイの誘惑に弱い。勝つことよりも楽しむことを選んでしまう。
私の好きな駒は「飛車」だ。真っ直ぐにドワーと進めるこの駒は、まさに無鉄砲な私、そのものだ。
「いっつもいっつもオマエは…高飛車だな」
父はいつも呆れてそう言う。
それで良かった。満足していた。そう言われるのが狙いでもあった。
そんな…。野生的な「勘」みたいなのが必要な時もある。でも…。
勝たない戦をしてはいけない時もあることを知った。
自分の今の「能力」を知ること、そしてそれに見合った行動を取ることも必要なのだと言う、客観的冷静な判断能力がとても大切なのだと言うことを知った。
諦めない根性は当然必須なのだけど…。でも現実はそうもいかないこともある。時間とか、体力的なこととか…。
「タイムオーバー」それがこの世には存在するのだ。
野球のように、時間制限がない勝負もあるけれど、今、私がしようとしていることには「タイムオーバー」がある。
人生そのものだってそうだ。人間誰しもいつかは死ぬ。
その最期を迎えるとき、「タイムオーバー」の時…満足してそれを受けれることが今の私には絶対に出来ない。
まだまだやりたいことが沢山あるから。
「人の最期」を、何度かこれまで見取ったことがある。一体彼らはどんな気持ちだったのだろう…。
こんなことを思うようになったのは…初めて祖父を高校生の時に亡くした時だったけど、何だかあまりピンと来なかった。
そして。
普段の慌しい生活の中で、「最期」と言うものを考えたり感じたりすることは無くなっていった。若い私には、無限に広がる「未来」しか見えてなかったから。
いつかは、こうなれる。
いつかは、出来る。
その「いつか」ばかりをただ何となく期待しているだけだった。特に何も努力をせずに。
この前読み終えたばかりの「竜馬がゆく」の主人公、竜馬も…。
その前に読み終えていた「燃えよ剣」の土方も…。
もう十分、満足する「最期」だった。
ただの小説に、私はまた、「最期」を考えるようになっていた。
竜馬の最期は…暗殺というあまりにも突然で、正直納得がいかなかったけど、
土方の最期は…誰にも変えることができない、大きな時代の流れに飲み込まれてしまったどうしようもないものだったけど、
彼らは、ずっと、彼ら自身の「最期」をちゃんと知っていて、見通していて、そして満足してその短い人生の最期を受け止めていた。
絶えず変化していくこの時代の中で、私はどう生きるべきなのか!?
別に政治がどうの、国がどうのとか、そんなことは分からない。ぶっちゃけ、興味もあまりない。
ただ。
「負けて終わるのはイヤだ」そう思う。
初めて「勝ちたい」と思った。
そう思った瞬間。
恐ろしい程の不安に襲われた。
特に何もしてこなかった「高飛車」の私には、何も勝てる要素がない。
何もない。
でも良くよく考えてみれば…
このどうしても勝ちたい「cesta」の扉を開くキッカケになったのは…
もうすぐ終わりを迎えようとしている今の仕事に、全力で向かっていけたからだ。
本当に辛かった。
何が本当で、何が嘘なのか…分からなかった。自分自身すら、信じることが出来なかった。
でも。
それでも温かい周りの人々のお陰で、どうにか走り続けてきた。途中放棄をせずに、ちゃんとエンディングを迎えようとしている。
そのエンディングが本当に正しいものなのかどうかすら分からないけど、でもきっと…これで良いのだ。きっと竜馬や土方もこんな気持ちだったんじゃないかなあと思う。
何もカタチがないけれど、それでもその実績だけで私は、次のオープニングを迎えている。
今度はもっと…
自信を持って、勝ちたいと思う。
「飛車」なんて華やかな駒は使わない。1歩1歩…歩いていく。
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