2008'03.09.Sun
level.42
結構、手紙と言うものが好きです。口と頭がうまく繋がってないので、幼い頃から声で表現するよりも、図や文字で心を表現してきました。
ま、それでも文章はちっとも上達しませんけどね。
こんばんわ、スナです。
武士の刀のように、寝るときも手放せないような存在であるケータイも、本来の機能である「電話」で使うより、メールが主です。
でもそれでも、「今、何してる?」とか「今、どこ?」とか、そんなチャットのようなメールはニガテ。
単にツラツラ自分の思い、そしてそれを読んだ相手がその時、どういった心境なのか、どういった状況なのかと言うのを想像しながらの、日記のような、つぶやきのようなのが好きです。
だから一番好きなのは、今も昔も手紙。
本当に大切なことは実際に会って、きちんと向き合って伝えるべきだとは思う。
でも何気に相手を思うとき、その気持ちを伝えるのには手紙が一番なのではないかなあと。
今も、昔も。
引越しばかりしていた私は、引越し先から遠く離れた友人へ手紙を良く書いてました。
新しい学校はどうの、方言がどうの…。
今思えば、結構何割り増しかの強気な内容ばかりだったと思う。だわわ~。
ヘンな方言じゃー!と馬鹿にされて中々馴染めなくても、「友達沢山出来たよ」とか、
方向音痴で、絶対初日は迷子になるくせに、「あっと言う間に近所を覚えた」とか…
電話で声を聞きながら、または聞かれながらだときっと…
挫けてしまうから。
転校と言うものは、結構堪えます。特にドン臭くて、トロい人間には。
ようやく慣れたかと思えば、全く違う場所へ。同じ日本でも、決して自分では戻ることが出来ない遥か遠く離れた場所へ行くのは不安です。
そういうことも重なって…
私にとって手紙と言うものは、一層大切なアイテムのひとつとなってました。
でも…
やはり毎日が目まぐるしい成長期のガキには、去って行った友人なんて、あっという間に過去の人になってしまい、何ヶ月もしないうちに手紙が途絶えることも当たり前。
そんな中。
とてもとても長い間、私のつまらない手紙の相手をしてくれた友人がいます。
その友人とは、今では手紙なんて滅多にやり取りをしないけど、久々交わした年賀状に書かれていた言葉を見て、私は久々、ペンを取りました。
「お誕生日、おめでとう。そして新しい命におめでとう」
赤ちゃんができましたとの報告が書かれていたのです。
それが1月の終わり。彼女の誕生日ギリギリのことでした。それからちっとも音沙汰無く…。勿論、お互いのケータイの番号もメアドも知ってます。
それでも敢えて私からも何も連絡をしなかった。
そして昨日。彼女から手紙を頂きました。
内容も勿論嬉しい言葉ばかりだったけど、何よりも…
見慣れた懐かしい彼女の字が嬉しくて嬉しくて。
小学生の頃から見慣れた彼女の字。大人になるにつれてちょっとずつ変化はしていったけど、それでも紛れも無い彼女の字。
決して達筆と言うわけではありませんが(オマエが言うな)、でも読みやすく、可愛らしく、そして丁寧に綴られた文字達が、思わず私を笑顔にさせてくれていました。
クタクタに疲れ果てて帰ってきたときに、ぴら~んと一通の手紙が冷たく無機質なポストにヒッソリと。
ドキドキしながら鋏で開ければ、短いけど温かく、懐かしい言葉たち。
いつもいつも私を励まし続けてくれた彼女の字が、大人になった今も私を励ましてくれてます。
友達が出来なくて、彼女と過ごしたあの場所に戻りたいとばかり考えて、1人、学校帰りの野原で、ランドセルを机にして書いたあの頃。
泣きながら書いたときもあるけれど、内容はいつも強気だった。
それでも彼女はいつもそんな私を見通していて、決まって最後は「また会おうね」
彼女の誕生日に間に合うようにと急いで買った手紙は、本当は自分の撮った写真達で飾りたかったけど、でも間に合わなくて、市販のお祝いBOOK形式のもの。
『離れていても、不安な時はいつでも私の名を呼んで』
そんな内容だった。
安いピラピラのファンシー便箋ではないけれど、でも昔も今も大して変わらない自分に苦笑する。
仕事をする上では、メールは欠かせない、大変画期的なものであります。
でもプライベートではたまには手紙でも書いてみませんか?
「時差」が生じるこの連絡方法が、時にはとても役に立つことだってあるのだから。
大分の湯布院のある場所に、「一年後ポスト」と言うものがあります。
興味本位で、ちょっとふざけて、一緒に行った友人同士で出し合いっこをしましたが、本当に一年後に届きました。
ふざけながら書いたあの頃と、一年後受け取ったときの自分は、大して変わっていないだろうと思ったけど、その時全く状況が変わっていて、ちょっと疲れていたので、凄く嬉しかったのを覚えています。
まるでタイムカプセルですな。卒業記念みたいな。
一年前、想像もしてなかった道を歩いていたり、思いもしなかった困難にぶちあっていたりするかもしれない。
そんな時、過去の、一年前の自分や、その時一緒に時間を過ごしていた大切な人からのメッセージは、結構身に染みます。
そこまで大げさに考えなくとも、
「手紙」と言うものは、メールと違って、手に触れることも出来、そして何より、その人その人の字で綴られると言う事が、何よりも大きな違いのような気がします。
今度は私の番。
花の切手を沢山貼って、彼女に返事を出そうと思ってます。
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2008'03.08.Sat
level.42
自分ではあまりにも当たり前すぎて、一体何をビックリされているのか分からない…てなことがありませんか?
私にはあります。それは…
左手が利き腕だと言うこと。
まだ自分で自覚がない程昔…たぶん、生まれて初めて鉛筆を持たされた私を見たその瞬間、私の親は、
やべぇ…っ
と思ったのでせう(たぶん、左手で持ったから)小学生に上がると共にお習字教室に通わされますた。
…まだ日本語の書き取り、学校でひとつも習ってないんですけど~。
だから文字は何とか右で書きますが(絵を描くのは殆ど左。眉描きも化粧も全て左)、そのほかは全て左です。あ、皮むきは右だ。
母親のを見よう見真似で覚えたから…。でも切るのは左なのでホント面倒。いちいち包丁持ち替えないといけないからね。
これが料理嫌いな理由のひとつでもある。
とまぁ。
字と皮むき以外は、どうしても右に出来なかった人間です。
別にそれはそれで良いし、ここ何年も左利きを珍しがる人間にも出会っていなかったので忘れてたんですけど、この前、久々、左でご飯を食べているのを驚かれますた。
最初、何を言っているのか本当にサッパリで、きょとんとしながらも黙々と食べ続けてたんですけど、
あ、コレか。と。
あまりにも自然に私が食べているので、周りの人も全く気づいてなかったんですけど、一人が指摘するとそれはもう…インフルエンザウィルスもビックリなくらい感染して、軽く大騒ぎになってしまった…。
めんどいなあ、もう…。
左利きで生まれたトンチンカンな自分の頭にイラッとします。でも今更右でご飯を食べようとは微塵も思わないけど。こんな下らないストレスは感じたくない。
しかし。
本当にまぁ…この世は右利き世界ですな。
「コーヒーばかりじゃなくて、ちゃんと緑茶も飲みなさい!」
と以前母親に言われて、強制的に茶っ葉と急須をトランクに詰められたんですけど、
「ちょっと待った!その急須はイヤ!!」
私の声にムッとした母親だったけど…
「あ…。なるほどね。それならコレにしなさい」
ヤカン型の、取っ手が付いたヤツにしてくれますた…。あのヘンなカタチの急須は右利き用なので上手く扱えないんですよ。
他にも…
駅の自動改札機もそうだし、自販機も勿論、電話も、そしてケータイだってそうなんすよ。
左から「123~」って並んでんぢゃないですかっ?左から「あかさ~」ぢゃないですかっ!?
左で打つには右から「123~」にして欲しいんすよ。
何、コイツ言ってんだ?とお思いのそこの方、
ほら、考えてみてくださいよ、左から「321~」って並んでたら気持ち悪いでしょーがっ
それを言ったら、リモコン全般じゃん…。
…ちょっと逆ギレ気味?
瓶のフタも、ドアノブも、郵便ポストのダイヤルも何もかも右利き用なんだよ。
面白いことに、心理的なモノもみられます。
それは…HP!…とかブログとかもだけど。
ほら、基本のレイアウトは、左側に一覧が並んでるでしょ?右側でマウスを動かすから、どうしても目線が左側寄りになるんですよ。
PCの「お気に入り」の一覧も左側でしょーが。
でも、左でマウスを動かす人には、右側にあって欲しいんですよ、コレが。
だから私のブログも右側に一覧をば…。(HPは流石に左にしたけど)
左利き用のマウスとか出ないかな~…。
しかし…
生まれて今まで、左利きって人に片手で数えるほどしか出会っていないのでまぁ…仕方ないっちゃあ仕方ないんだけど。
でも。
唯一、嬉しかったのが、まだ幼い頃…。
母親の花鋏を初めて使わせて貰ったとき、ただでさえあの鋏は扱いにくいから、しつこいほど握り方を教えてもらったのだけど、それでも思い切り怪我をしてしまって…。
血が信じられないほどドクドク出て、ワンワン泣いたら、滅多に動揺しない母親も流石に真っ青になって…。
それから何週間後、完治した私に、母親は特注の左利き用の花鋏をくれますた。
これで花が嫌いになったらと思ったんだろうけど、
滅多なことでは子供に何かモノを与える人ではなかったので、本当に本当に嬉しかった。
今でもその鋏を愛用してます。ボロッちくてサビだらけで、切れ味悪いけど、それでもその鋏(ちゃんと研げよ…)
とまぁ。
左利きの嘆きをグダグダ語ったワケですけど(嘆き?)、それでも私は、これからも左利きで生きていきます。
左利きであることを普段は何とも思いませんが時折…とんでもない変種を見るような目で見られるとやはり…少なからず、疎外感を感じます。
別に団体行動が好きなワケではないけれど、でも、やはり…自分では当たり前と思っていることが実は当たり前ではないのだと、少数派なのだ指摘されるとちょっとヘコむ。
でも、それでも。
中学までは右で扱っていたから今でも頑張れば右手でも扱える箸を、右で使わないのは、
何となく、苦労するんじゃないかな~と、でも結局はどっちでも良いべさと私の左の箸を当たり前に受け入れてくれる家族がいるからです。
花鋏もそう。タダでさえ結構高い花鋏なのに、特注でしかない左利き用の花鋏を子供に与えてくれる親は滅多にいないと思う…。
何故か私の指定席は、姉の右隣だったんですけど、だから毎食、カチカチ箸が当たって姉がブーブー言っていましたが、それでも親は右で持ちなさいとは言わなかった。
ちょっと離れなさいよとは言ってたけど、何かソレ、違くね?みたいに私が思ったよ…あははー。
まさか自分の子供が左利きだなんて思わなくて、やべぇとは思ったみたいだけど、お習字だって続けろとは言わなかった。引越しも多かったし。でもこれだけは自分の意思で続けた。
皮むきだって本当は、左で教えたかったのだろうけど、なんせ言葉で教えられるものじゃないからね、アレは。
自分の好きなように自信を持って堂々としていなさいと言う個人個人を尊重する家族が好きです。
でもま。
オヤジのPCを使ったあと、「マウス戻しとけ!」とイチイチ言われるのは面倒だけどね。
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